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鳴しろ信者である管理人の萌え吐き出し場&問わず語り。
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前記事は削除しました。
書き終えて、何だかモヤモヤがおさまらず。
別に鳴しろは変わらずに好きだし、自分とこのブログに何を書いていこうが自由だし、なのだけれども鳴しろではない別CPを盛大にプッシュしている書きように納得がいかなかったのでした…。
もっとも全く更新がないよりは何らかでも文字があった方がいいのは事実ですけれどね(苦笑)。



鳴しろを銘打っているところなので、例えどんなCPを好きになろうと鳴しろに絡めていこう、とか最初は思ったのですが、考えるまでもなく『からくりサーカス』という作品、且つ作者自身に対しては嘆き節なのですよね、私(汗)。
だから絡めていくと必然的に作品同士の比較対照となってしまう。
それはいくない。
同じ少年漫画の王道作品であり、作者であるとは思うのですが、真っ向からそれをしてはダメだセンサーが強く反応しているのですよ…
…真っ向からはダメ、ではちょっと斜めからならOK?斜めって何だよ、みたいな。



試行錯誤をしてみよう。
というわけでチャコちゃんのお鼻について(笑)。






かなり遅ればせながら復活『うしおととら』のお話。



絵、(比較的)きれいじゃなかったですか?やはり意識して丁寧に描かれたのでしょうかね。 潮もとらも16年前と絵柄的には違和感がほとんどなかったような。
反面教師として頭に思い描いているのが高橋留美子先生だから余計高評価なのかもしれない…。だって、高橋先生はもう『うる星やつら』や『めぞん一刻』は描けないでしょう?否、描いてはいけないと思う。ファンとして描いて欲しくないとも思う。絵柄の変わり方が激しい。
『犬夜叉』選択はいいところです。
『1ポンドの福音』なんて何年ものブランクの末に最終話が出されて、絵柄もキャラ付けもなんか違うなあ…ってガッカリしたもの。



最近、CSで『人魚の森』をやっていて観たのですが、この頃の作品はよかった、とつくづく。 藤田作品もそうですが、あのどこか退廃的な雰囲気と血塗られた残酷描写が前面に出ていた頃は作品に物凄い力があったのですよね。
今はそれを許さない時代になってしまったから、そこの点に関しては作者はむしろ被害者だと言える。
『人魚の森』はアニメよりも原作の方が好きですが、人魚の肉を食べてしまって不老不死になってしまい、お互いを共に生きていける唯一無二の存在と意識し当てのない旅を続けていく湧太と真魚に萌えどころ感じてしまうのは自明の理。



話が逸れました。
で、問題のチャコちゃんのお鼻なのですが。
どうして丸ッ鼻なのでしょう?
藤田先生が小さな子どもの鼻を○にするのに目が着くようになったのは『スプリンガルド』あたりからのような気がするんですよね。
せっかくの特別編なんだもん、もっと可愛く描いてあげてもいいし、昔だったらもっと普通に可愛く描いてたよねえ?ちささんにまるっと同意。
それにチャコちゃん、小5なら勝と一緒でしょ?



藤田先生の描く子どもって何か古臭い。
別におさげとぱっつん前髪はいいと思うの。昔に死んだ女の子だし。
鼻の形にどうしても目が行っちゃうのがちょっと。今時見ないよね、小さい子の鼻を丸く描くヒト。
ていうか、小5女子って小さい子か?幼女ーとか、少女ーとか、萌え需要あるのになあ…何故そこに力を入れぬ…。少女時代のエレなんか超可愛かったじゃないの。
後、強いて言えば、目をもっと大きく描くと子どもらしくなると思う。先生は子どもの目を小さく描き過ぎ。子どもって顔の中での目の比率は大きいよ?
ていうか鼻を丸く描いた途端にモブ顔になっちゃうんだよね。



「フコー」も「不幸」じゃダメなのか…orz
カタカナ表記にポリシーがあるみたいなんだけど、届く言葉が軽くなっちゃうんだよね。『うしとら』にまで現在の『月光』のノリを持ち込まなくてよかったのに。
「フコー」
鼻から空気が抜けてるのかと思ったよ。
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