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鳴しろ信者である管理人の萌え吐き出し場&問わず語り。
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命は重いという。だから他殺も自殺もいけないと。大切な命を無碍にしてはならない、奪ったら支払う代償はとても大きい。人ひとりの命でも重すぎて潰れてしまうかもしれない。
ならば何万人もの命が消えたことの代償はいったい誰が払うのか。自然や神と呼ばれる存在が支払ってくれるとは到底思えない。代償も無く末梢された命。
むしろ、この無数の失われた命は人間からそういった存在に代償を求めるべきものではなく、人間がそういった存在に支払わされた代償なのではないか。様々なことをないがしろにする人間から当然の対価として数多の命がもぎとられたのではないか。人間が犯してきたことは、これだけの命が必要だったくらいに重い。またはそういった存在は善も悪も無く命を欲するのかもしれない。
失われた個々の命には罪も落ち度もない。相手は『人間』に代償を求めた。誰の命でもよかった。もしくはより穢れの少ない朴訥な魂を好んだかもしれない。
均衡。何事にも均衡があるのなら、何万人もの命と天秤を釣り合わせるものとは一体何なのだろう…?



そんな夢を見た。
やっぱりあまり明るい記事ではないので隠しておきます。

先だってとある知事が「天罰」と言って物議を醸したけれど、言葉の前後だけ切り取られたらそりゃ問題にもなります。天罰は亡くなった方に落とされたものではなく、日本人そのものに落とされたものでしょう。天罰をモロに食らった方にしてみれば堪ったものではないけれど、天罰を落とす方は落とされる側の事情なんて知ったことない。日本人ならば誰でもいい。明日は我が身。



この間、琵琶湖の周りを走ってカーナビに現れる神社の数に驚きました。神社の数だけ、あの土地の先人が自然との折り合いをつけてきた歴史があるのだろうかと。
荒ぶる自然や天候を畏怖し、神格を与え、姿と名前を与え、祀り、祟らぬように祈る。昔昔から今ある神と呼ばれるものがいたとは思わない。人間がいるから神が生まれ、人間の豊かな想像力から神話が生まれる。何事、何物にも神を見る日本人の精神が、私は好きだ。神の存在云々よりも、そうやって全てのことに感謝をして大事にする気持ちが心地よい。
でもその精神性は薄れている。私も。




漫画のセリフを引っ張ってくるのもアレなのですが、ちょっとタイムリーでハッとしたものですから。



「祭事はヒトが執り行うもの
ヒトが決め そしてヒトが朽ちさせていくもの
勝手に決めて 勝手に変えて 勝手に忘れていって
その取り決めに振り回されるほうは
たまったもんじゃないわよ」
「そのたまったもんじゃないツケは、どうなるんでしょう」
「ヒトが払うのよ 何時かね」



お化けは、人に忘れられ祀られなくなった神の成りの果てだという。
相撲と地鎮祭の関係も面白い。ナンセンスだという人が大半でしょうが、そんな人でも「お相撲さんに触ってもらった子どもは元気に育つ」という迷信は受け入れるでしょう。
神は人を守ってはくれない。祟られないように祀って、荒ぶらぬよう宥めて、ひとときの平穏と恩恵を与えてもらう。神様に期待をしてはいけない。



元は中日新聞の記事。



『今年1年の世相や農作物の豊凶を占う諏訪大社の「筒粥(つつがゆ)神事」が14日夜から15日早朝にかけて下諏訪町の諏訪大社下社春宮で行われ、世相を占う「世の中」は「三分五厘」と厳しい結果が出た。
諏訪大社七不思議の一つに数えられる同神事。雪が舞う中、神職らは束にしたヨシの茎44本を小豆入りの米とともに炊き、茎に入ったかゆの状態で稲、野菜など43種類の農作物と世相を占った。
神事を終えた北島和孝権宮司は「今年は怖い1年。過去20年間の中で最も悪い結果が出た」と語った。春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相だという。また、農作物の豊凶は「秋蚕(あきご)」「サトイモ」「晩稲(おくて)」の3品目が大豊作、「インゲン」「ナスビ」が不作という。 』



崇めもせずに、お願いはしっかりする者の声。
列島各地で火山活動活発化の傾向。
白面が騒いでる。
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