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鳴しろ信者である管理人の萌え吐き出し場&問わず語り。
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ここしばらく看病のために家にいることが多く、時間を潰すためにCSにどっぷりはまってました。今日は録画しておいた『SP』の劇場版を2本立て続けに観ました。
別に岡田くんファンでも何でもありませんが、こう…
アクションかっこいい…!格闘シーン超イイ!
その一言に尽きました。
ハッキリ言えば、「鳴海、職業SPでいいよ」です。
舞台観たせいで鳴海が3次元で動いている幻覚が…(笑)。


SPの鳴しろで少年社長・勝の要人警護につきまくるといいよ。ただ鳴海だと一撃必殺で相手を沈めていきそうなのでドラマにはならないな、と。鳴海が派手な格闘するとしたら邦画ではなく、ハリウッド版じゃないと無理かも…体格の段階で相手にならなそう。それかもう自動人形だね、人外と戦わないとね。それじゃ勝社長は何にタゲられてるの?っていう…。
しろがねはあるるかんで警護、でも動かすと周囲に甚大な被害を出すのであるるかんの基本は勝の盾。動きは最小限と心得ているが、結果何かを破壊したとしても、それは冷静沈着、迅速に躊躇いも無く行われ、犯人確保も確実に遂行された末。明らかに勝>周辺施設。そんなわけで始末書は鳴海よりもしろがねの方が多かったりする。


SPカコイイ…ドラマ、最初から観てみようかな。


以下、私見です。
私見、といってもいつものアレですよ?愚痴です。
何の私見かは、詳しくは前記事参照でお願いします。




(*1)

劇内でコンパクトにまとめるために鳴海のバイト先、且つ、しろがねの所属先がストローサーカスではなく仲町サーカスだったわけです。
で、原作にはない仲町のセリフなのですが、勝を助けて今後はどうしようかというシーンで鳴海にも言うわけです。ウロで恐縮ですけど。
「笑わせないといけない病気ならおまえもサーカスをやればいい」


何かの折にも愚痴った覚えがあるのです。鳴海も仲町たちと面識があれば、その後の再会が生きてくるのに、って。
元の鳴海を知っていれば、再会した鳴海との落差が大きくなります。原作では鳴海とノリヒロが初対面なために理由も分からず、しろがねに辛く当たり憎む鳴海のことも、鳴海にどんな仕打ちを受けても黙って甘んじるしろがねのことも理解しようも無く、ただしろがねに盲目的な男たちの鳴海への反発が空回りしているように見えます。鳴海が仲町サーカスを「仲間」と読んだって空々しく聞こえるだけです。だって作中、ノリヒロは『鳴海のためにしたこと』って何一つないんだもの。
だけど、鳴海の人柄を知っていてその失踪理由も知っていたら、しろがねの鳴海への想いも分かるでしょうし、その鳴海が帰って来た時に記憶を失っていて全くの別人に様変わりしていたら、全力でフォローするでしょう。その落差に行方が知れない間に鳴海がどれだけ大変な目にあったかを思い、しろがねを傷つける鳴海だけを悪くいうことはなかったでしょう。
それでこそ、記憶を失い、仲町サーカスの面々のことを覚えていない筈の鳴海が言う「仲間」だからこそ重みが生まれると思うのです。


だから舞台で鳴海にサーカスに入ればいい、そう仲町が言ってくれたことがとても嬉しかった私でした。
もっとも、藤田先生が描きたかったのはとことん貧乏なサーカスなわけで、そんなところに最初から世界的なシルカシェンしろがねが入団しているのも違うっちゃ違うし、作中でようやくテントを張れるようになったのもしろがねのおかげだったりするから冒頭からテントが張れているのはイメージが違うかもしれない。
でも理由は幾らでもつけられるもの。こんな部分の改変は、人魚姫にi p●t が出てくるよりかわいい。



(*2)

「笑ってみろよ、しろがね」
ここらへんのセリフはありませんでした。


鳴しろ恋愛至上主義の私ではありますが、舞台上で鳴しろの恋愛に最重点を置く事は無理である、ことはよおく理解しております。だから原作に描かれていた以上のものは存在しないと思います。
結果、原作においても、しろがねが鳴海に魅かれていく過程は理解できても、鳴海がしろがねに魅かれていく過程を理解するのは難しかったのに、エピを大幅に削らねばならない舞台においてそれを原作以上に理解するのは無理!ということです。そもそも舞台に関してはしろがねが鳴海を愛し始めていたことを理解するのも難しいのでは?と思われる…私は脳内補完が容易だし、原作を知っている人もまた、鳴しろは最後にくっつく、ことありきで見られるし、まあ、ヒーローとヒロインがクライマックスでくっつくってのはある意味お約束だから…いいのかな?


演技で表現が難しいと唯一思ったのが、
「おまえはオレの女になる」
と言われたしろがねの
「ああ、それは笑えないな」
です。このシーンのしろがねの笑顔ってのは明らかな笑顔じゃいけないのですよね。笑み、というか、しろがねが初めて見せた人間らしい柔らかな表情というか。だけど舞台上ではある程度笑顔と分かるものじゃないとならない。
それと同時に鳴海がしろがねにドキリとする、鳴海がしろがねを意識する場面……いや、皆まで言うまい。鳴しろの恋愛は舞台上での重点はさほどない。ここの劇団の売りはアクションです。
まあ、私が唯一引っかかったのがこのシーン、イコール、やっぱり私が一番重きを置いてるのがここだってのが分かって自分で面白かったです(笑)。



(*3)

勝が動けないしろがねに変わってあるるかんを繰るシーンがなかったんですよね。「あきらめちゃダメだ」「僕が変わらなきゃ」っていうのが勝のセリフの大半を占めているイメージだったので、そんなに逃げてばっかりのひ弱な感じは勝にないです。でも見よう見真似であるるかんを動かしたり、阿紫花相手にカシコス発言したりのシーンが端折られていたので、正直、勝の記憶力のとんでもなくいい少年設定は見受けられません。
まあ、次回のパンフレットに「モンスター」って書いとけば万事OKですよね(苦笑)。
2部のサーカス編では勝の戦闘スキルのメインが何になるのか気になります。さすがに2時間半で人形繰り、剣術、分解、全部網羅するのは無理、ですよね…。やっぱ人形繰りですよね、鳴海と背中合わせの共闘が待ってます。



(*4)

舞台では、鳴海再登場の場所がイリノイのゾナハ病研究所になってました。合理的に考えれば、大怪我を負った鳴海が目覚める場所としての病院、っていうのはありです。ただ怪我をしたのが軽井沢で目覚めるのが海外ってのが…それはフランスでも同じなのですが…都内じゃダメなのかなって(笑)。
出血多量の死にかけを海外に移動させてから治療、ってのはありえないでしょ?となると、鳴海の治療とアクア・ウィタエ投与は日本国内で行われて、その後薬漬けにされて前後不覚なうちにギイと浪漫飛行…絶対にこの線です。
何にせよ、『しろがね』にした鳴海を連れていく理由は、『しろがね』というものを理解させる、最古の『しろがね』に合わせる、もしくは自動人形と戦わせる、以外ないでしょう。だから鳴海の目覚めた場所がキュベロン、もしくはゾナハ病の患者がいる病棟、というのは納得できます。
でもあの安アパート&豪華ホテルはやっぱり首をひねる。ギイだけが知っているあの理由で何らかの思惑があってあそこにいたのなら分かるけど、それもない。


原作初期の、あのどこか怪しさと気だるさの漂う欧羅巴風な雰囲気は好きだったのですよ。人形も、自分の姿を人間に近づける努力をしていて、でも身体が割れて武器が出てきたり、身体の一部が人間であることを放棄していたり、もしかしたら現実でも私たちの身の回りに人形は潜んでいるのかもしれない、そんなことを想像させるおどろおどろしさがあった。後半になると人形にそういった魅力が一切なくなるので残念極まりないのですが。フランシーヌ人形のために人間を理解する、この部分が人形の行動理由からなくなったので形を人間に近づける必要がなくなった、とも考えられますが…せっかくリアルな毛穴まで開発したのに…ねえ?後半の人形達からフランシーヌ人形を笑わせるという存在意義もなくなったのなら、バカバカしい姿の人形である必要もないと思うのですがねえ。
あの原作初期の雰囲気を残すのなら人形は人間に近い方がよかった。だって人形はヒトガタですから。最初の人形は愛する女性を模して生まれたのだもの。


本当にギイは何をしたかったのだろう…。
最初から鳴海をキュベロンに運び込んでおけば時間短縮ができたんですよ。大道芸ならキュベロンで練習すればいい。どうせ薬漬けでよく分かってないんだから。
貞義がDLされていると思われる勝の近くに大事なエレオノールがいる状況なんだから、一刻も早く、ギイ自身もしくはエレオノールの守護者になりうる鳴海が日本に戻るべき。それをないと分かっている柔らかい石を探す旅なんて茶番を続けるという…しかも、鳴海の失われた記憶部分に何があったのかとか、エレオノールを守るための心得とか一切の説明もしない。


とまあ、舞台の切り方でギイの初登場シーンの時間経過の無駄に改めて気付いた次第です。
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