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鳴しろ信者である管理人の萌え吐き出し場&問わず語り。
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『月光条例』
シンデレラ編辺りでタイムリーに追いかけるのを止めました。以後はコンビニで見かけると立ち読みをするくらい。コミックスは買っていない。何となく、風の噂でストーリーを知っている、本当に薄ぼんやり。
昨日、たまたま寄った先に『月光条例』が1巻から15巻まであり、これはいい機会かも知れないと読破してきました。ラウンドワンで3時間、他の何をもせずにマッサージ機の上で『月光』読んでるってのもアレですが。
月光はまだランプの中、エンゲキブが素っ裸になって斉天大聖を助けた辺りまで読みました。






一気に読んだ感想。
正直、藤田作品は週毎に追いかけるよりも一気に読んだ方がいい。いくら私だって『からくりサーカス』をリアルタイムに毎週追いかけていたら心が折れてた。コミックス買う派が一番いい。追いかけていた皆さんには心の底から尊敬の念を抱く。ゆっくり考える時間が与えられた ら駄目。
絵が荒い荒い言われていてもコミックスサイズになるとあまり気にならないし、根本的には藤田先生の絵自体は好きなわけで、ダークサイドを描かせたらそりゃあ物凄い迫力がある。
だからやっぱり、『素材はいい、料理法が悪い』になるのだと思う。



リアルタイム時にはギャグパートとシリアスパートの配合比が気になってテンポの悪さにイラっとしたものでしたが、一気に読むと気にならない。次々とページをめくっていくので目が滑らせることが可能なのがコミックスの利点。
冗長な説明くさいセリフ回しも読み飛ばしていけるし、週刊だと首を捻る冒頭の時間巻き戻しもまあ何とかなる。
エンゲキブもうざさも然程気にならない。



ただ、どうしても、おとぎ話の住人にとってのおとぎ話が、【リアル人生】なのか【ロールプレイ】なのかが一定でないことが、読んでいて戸惑いを生むわけで。
『一寸法師』の鬼は自分が脇役で一寸が主人公である自覚を持っていて、主人公クラスが物語を離れた時には代役を立てるシステムもある。『三匹のぶた』では話の外でのぶたとおおかみは仲良く並んでいた。
それが一寸編で姫が一寸に裏切られた云々と言い、リアル人生なの?って話になり、その後はリアル人生設定の扱いが増える。
連載している中での主軸のそのブレは相当に大きく、ストーリー毎に作者のご都合主義的采配が追加されていくのも「それってどうなのよ」って気持ちになる。登場人物が読者の存在に気付いている描写も(天に本型の窓があり、読み手の顔が見える様)、「真に生きているのか」「役を演じているのか」の境界を曖昧にする。赤ずきんは読み手に向けて物語を演じている自覚があり、マッチ売りの少女は自分を見て読み手が泣いているのを自覚しながらリアル人生ってことになっている。
大体、おとぎ話がリアル人生なのだとしたら金太郎とラプンツェルがラブラブっておかしくない?
月打ちが起こるとおとぎ話の住人がそれらに関する様々なことを知る、気づく、ような話もどこかで付け加えられていたけど、どこからどこまで、誰から誰までが通常営業状態でも月打ちの事情を把握しているのかいたのかが分かりづらい。
少なくとも一度だけ読んだだけじゃ分からない。でもこれ何度も読んだら齟齬だらけで読めたものじゃなくなる。



何にしても、月光が条例を執行した結果として物語が変わっている、っていうのがね、頂けない。
『シンデレラ』もね、福祉がどうのとかあんな付け足しどうでもいい。枝葉末節だよ。いいじゃない、人を見る目がある王子様だったってすれば。どうしてシンデレラが選ばれたのか描かれてないとするけれど、王子の人生だって描かれてない、その点イーブンでしょ。イケメンな王子、というところにだけ魅かれてやってくる着飾った野心たっぷりな女たちに辟易していたところ、純真オーラで輝くシンデレラに出会ったのかもしれないじゃない?
努力しないでサクセスストーリーな部分が気に入らないなら、ディ○ニーがやったみたいに『シンデレラ2』とかで続編を作ればいい。シンデレラは続編で苦労しているよ?
あそこは『ノートルダムの鐘』にも続編を作って主人公にGFを作ってあげた。あの「人はみかけじゃない、心やさしき人には必ず…」って件は欺瞞っぽくて、私は好きにはなれないけれど。



世の中ってのは決して平等なんかじゃない。
生まれた時から既に如何ともし難い差がある。
だからこそ、個人の力で変わっていける自由と機会が存在する公正な世の中であらねばならない。
のだ、と私は思う。
現実問題、人は皆平等、というのは理想論。平等ならどこにも争いなんかないわけで。
だから哀しいおとぎ話や不条理な物語がある。その中に教訓や反面教師を潜ませて、子どもの心に情報と想像力を蓄積させる。



マッチ売りの少女の最期が可哀そうだと感じれば、では自分はマッチを買ってあげる人間になろうと思う。そこから自分より不幸な人間は他にもいるんだ、って感想を持ったらアウトでしょ。
シンデレラにしてもプリンセスに憧れる女の子たちは「ただシンデレラがきれいだから王子様と結ばれた」だなんて思ってない。シンデレラが、やさしくて、めげなくて強い、『心』がきれいだったから、ハッピーエンドだと思う。だから自分もそんな女の子になろうと憧れる。そこから見かけだけきれいにすればいいんだ、って感想を持ったらロクな女には育ってない。
お菊にしても、その昔には実際に行われていたことでしょう?歴史に埋もれた名もなき人柱とその家族が悲劇なのであって、お菊はそれらを代表している存在。彼女をひとり救ったからといって意味もないのだけどね。



語り出したらやっぱり長い話なので一度切ります(苦笑)。
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