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鳴しろ信者である管理人の萌え吐き出し場&問わず語り。
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My First WIDEは結局1巻しか買ってません。本棚の収納力は有限なのに持っているコミックスの表紙を使いまわされているのでは、どうしても手が出ません。カラー収録されていないイラストだったら買うのに。
どうか私の触手の動くものにしてください


『からくり』レビューはようやく2巻に進みました。








「理由言ったって、おまえは信じねえよ」
(第2巻 勝 第9幕 【才賀屋敷へ】 加藤鳴海)





勝救出に向かう際、しろがねに「どうして自分に関係のない戦いに加わりたがるのか」と訊ねられての鳴海の返事。




文字が潰れてしまって分かりづらいのですがしろがねのセリフは次のように続きます。
「あなたはなぜそこまで、お坊ちゃまのために戦おうとする?あなたはもともと、お坊ちゃまとは行きずりの他人のはずだ。それがはじめの時といい今度といい、なぜそうも戦いに加わりたがる。私が巡ったどの国でも、普通に暮らしている人は、災いをさけ、自分の暮らしを守ろうとするものなのに・・・」



しろがねの疑問は至極当然です。
上のしろがねのセリフから彼女が【普通ではない暮らしをしていること】、【旅暮らしをしていること】が窺えます。この初期の時点のしろがねの背後に作者が用意していた設定は、【エレオノールは物心ついたときから今まで、マリオネットで自動人形を破壊する戦いを孤独に続けてきた】、【フランス~日本にかけて自動人形の謎が展開されている】、【エレオノールが『しろがね』として教育されたのには何かしらの理由がある】、【勝を守る使命にもとある理由がある】、こんなところでしょうか。【身体の中には万能薬アクア・ウィタエが流れている】、【常人の5倍の寿命があり、治癒能力の高い不死人である】は勿論、【体内に柔らかい石が隠されている】設定は用意されていません。



要するにこの時点でのしろがねは鳴海同様に、怪我すれば怪我しっぱなしの常人ではあるものの、何らかの謎を持ち、人知れず自動人形と戦い破壊する人生を送ってきた18歳の少女です。彼女の言動からその人生は寂しく孤独なもので、他人との交わりは少なかったのだろうということが想像できます。自分で何でもやりたがり、他人の差し出す手は不審がって振り払う。親切に近づいてくるものはもしかしたら自分を騙そうとする自動人形なのかもしれない、敵なのかもしれない。鳴海に対してもそうだったのでしょう。



これまでの戦いにおいても、しろがねが窮地であっても普通に生きている人間は自分に火の粉がかからないようにそこから遠ざかる、自分には関係ないことだと自分の生活を守ることを優先する。しろがねの人生ってそんなことの繰り返しだったのではないでしょうか?誰も自分の手助けをしないことが当たり前だったのです。
なのにこの目の前の大男は突き放してもついてくる、怖い目に合ってるのに懲りずにまた戦いに参加しようとする、それも出会ったばかりの何ら関係のない子どものためにムキになっている、ものすごく怒って必死になっている。
不思議なイキモノです。



しろがねが問う間、幼稚園児の男の子・てっちゃんが転び、助けを借りずに自分で起き上がるシーンが挿入されてます。鳴海は唇を噛み締め、じっと見つめています。自分で立ち上がる様を見守ります。そしててっちゃんが立ち上がり母親に褒めてもらう姿に笑顔を見せます。
「言ったっておまえには分からない」、そう言って理由を読者にも具体的には教えてくれません。でもてっちゃんエピのおかげで鳴海の考えは何となく察することができます。




鳴海が何に気を取られているのか、しろがねは気づいているようですが、鳴海の意図まで思慮が及んだかどうかは分かりません。



鳴海は転んだてっちゃんに手を貸すことはしませんでした。自分で立ち上がるのを見守るだけで、てっちゃんが自分の力で立つのを待ってました。これを勝に置き換えると、鳴海は勝が自分の力で前に進む強さを身につけることを手助けしたいのです。弱い少年が弱いままでいること、それは鳴海にとって我慢ができないのでしょう。弱い少年が強くなる、それは鳴海自身にとって何の得にもならなくても喜びの得られることであり、弱い者のために自分の強さは揮われるものであると自覚しているようにも思えます。




私自身が余裕のない人間だから死に至る不治の病に侵されながら他人に向けて笑顔を作れる鳴海って尊敬に値すると思う。



「おまえには分からない」
しろがねだから分からない、のではないのだと思います。「誰にも分からない、誰にも理解されない」ってことなのでしょう。自分でもこの動機は「バカげてるよなぁ」なんて思って苦笑いをしたいくらいなのかもしれません。でも彼にとって戦う理由は「理屈じゃない」んですよ。だから「どうして?」って訊かれるとうまく言葉に起こすことができない、起こすものでもない。




しろがねは何を思う? 





ただ、この「弱い者のために強くなる」に関しては、後のフラーヴィオ戦で鳴海は自問自答をすることになります。どうして戦うのかの理由が鳴海自身、分からなくなっているのです。この時点では分かっているのに。
どこかで藤田先生が「鳴海は空を見ていない」と言ったとかいう記事を目にしたことがあります(出典は分かりません、ごめんなさい)。3巻の段階で鳴海の強さは流兄ちゃんのように完成されてしまっていてこれ以上の成長の余地がないということらしく、それを踏まえて7巻で復活した鳴海は未熟さの見える男に設定し直されギイやルシールといった師匠キャラと相対的に見られることで新たな成長が見込めることになりました。



分かっていたはずのものが、作者の都合、物語の都合で分からなくなっている、『からくりサーカス』ではよくあることですが、こういうのはちっとも気にならないんですよね。キャラクターがより魅力的に成長するのであればいくらでもウェルカムなんですよ。



「これ以上の成長が見込めない」
それは3巻終了時点の勝にも言えることだったのですけれどね。勝の精神的な成長は3巻で既にピークを迎えています。鳴海の死(死んでないけれど)を経験して心の中に鳴海を棲まわせたことで勝は実際の鳴海以上の心の強さを手に入れたのですから。実際の鳴海以上、というのは死人は美化されるのが常ですから、憧れの目で見ている鳴海のことはグレードアップして記憶している、ということです。「ぽう」ですら面白いネタなんだ、と記憶するくらいの美化がなされています。



ですから残り40巻にかけて勝の成長余地は肉体的な強さの成長しかなかったのかもしれません。天才設定である以上、頭脳面での成長もないですから。けれど、『しろがね』に匹敵する肉体的な強力さを小学生が獲得することは多くの読者が違和感を覚えました。誰も鳴海のような強さを勝には求めていないのです。天才的人形繰り師になる、くらいで止めとけばよかったのに欲張りすぎた感があります。



この作品の中で一番少年漫画的な未熟さを与えられていたのは鳴海だったわけです。それだってサハラでの手足のカスタマイズで超人になってしまいましたからね・・・藤田先生は極端に、それも一気に振りすぎなんですよ・・・。




そうしてふたりは勝救出に旅立つのでした。



上のコマは鳴海が始めて「しろがね」という名前を口にしたシーン。それまでの呼び名は「女」。
さん付けしているところがまたいいのですが(笑)。
これから鳴海としろがねが緩やかに歩み寄っていく様は鳴しろ信者にはたまらないのですが、それについてはまた後日。



余談ですが、加藤家って庭は広そうだけれど車を置くスペースがないんですよね・・・大型バイクは路駐だし・・・(今のご時勢なら難しいですね)。古い家、なんでしょうねぇ。
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