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鳴しろ信者である管理人の萌え吐き出し場&問わず語り。
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一昨日、最後の親知らずを抜きました。切って砕いてガツンガツン…あげく根っこが鼻と喉を繋ぐ管にまで届いていたため、血が鼻から出てくる始末。耳の下からコメカミまで痛くてまだ顔が腫れているけれど、ここに来て落ち着いたと実感しました。
ああ、これで…親知らずを全部抜いた…。よかった…。



顔が腫れてるし痛いし、家から出る気も無く、家事をこなす気力も無く、ひたすらぐったりしてました。今朝になっていきなり久し振りにSSを書きたい気持ちになって書いてみた(笑)。
『トリコ』に浮気してた今日この頃だったのですが…やっぱり私は鳴海スキー、鳴しろなんだなぁ(苦笑)。何だかんだあったけど鳴海としろがねが大好きです。
倉庫内、『明日晴れるか』のその4をUPしました。






しろがねの子守唄でゾナハ病は完治するそうなので早速踏襲しました。
SSで書いてみて思ったことなんですが…何か…ゾナハ病の薬であるところの『しろがねの歌』っていうのは結局、しろがね自身が作品の中で何ら一切の成長をみせなくとも薬になってしまう点が…やっぱり問題じゃないですかねぇ…。
勝が言ったのは「歌だ!」であって「子守唄だ!」ではなくて(もっとも金が望んだのは子守唄だろうってのは分かるけど)、どんな歌でも治療効果があるような描写だし。鳴海の家にいる段階で何らかの歌をしろがねが歌わないとも限らず、神の手によって歌わせてないだけの状況ではあまり薬に価値がない。


クローグ村の村人に白金は「フランシーヌを笑わせろ!」と言った。笑わせれば苦しみから逃れられる、だから道化になれ!と。
でも最終的に作者が示した治し方だと、「フランシーヌに歌わせろ!」って流れの筈でね…まあ、どこかで治し方を変更したと考えなきゃなのでしょうが、どうしてもなくてもいい捻じれが発生してる感が否めない。
『笑顔』が薬ならねぇ…作品を通してしろがねが笑えるようになった過程が必要になるし、出会ったばかりの鳴海のゾナハ病をあの時点のしろがねでは治してあげられないのも道理なのですが。
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